藤沢かぶ 現地の呼称 ふじさわかぶ、とうげのやま 
歴史
 いつ頃藤沢地区で栽培されるようになったかは不明であるが、明治の頃には藤沢地区にすでにあったといわれている。藤沢地区では、昭和の末頃までは藤沢かぶは「とうげのやま」あるいは「とうげかぶ」と呼ばれ、山形県鶴岡市小国字峠ノ山からきた嫁が持ち
込んだと伝えられてきた。

 昭和40年代頃までは藤沢地区の全ての農家が毎年焼畑で藤沢かぶを栽培していた
が、昭和50年代以降は減少の一途をたどり、昭和60年代には藤沢地区に住む渡会美千子さんが自宅近くの普通畑に一坪(3.3平方メートル)程度の面積で栽培するのみになっていた(現栽培者の後藤勝利氏によると、後藤氏は昭和の末頃に渡会さんから藤沢かぶの種を受け継ぎ、渡会氏と協力して種子の維持はすでに行っていたとのことである。)

その状態を安じて平成2年に、荘内日報論説委員長であった松木正利氏が藤沢かぶの危機的状況を新聞記事にした。

その記事に鶴岡市内の漬物業を営む老舗「本長」社長の本間光廣氏が藤沢かぶ保存の協力と商品化に関心を持ち、当時藤沢地区で焼畑を続けていた唯一の農家、後藤勝利氏の協力を得て平成5年には10aほどの焼畑栽培が復活し、甘酢漬けの新商品「藤沢かぶ」が発売になった。

後藤氏が渡会氏から藤沢かぶの種子を譲り受けて以来、毎年現在に至るまで藤沢かぶの焼畑栽培が続けられている。

生産の現状
 藤沢かぶの生産地は現在鶴岡市内の2ヶ所、藤沢地区の焼畑地と下川地区の砂丘地である。ただし、後者の栽培は平成以降に始まったもので、藤沢地区の生産量を補う形で漬物会社と契約して行われている。伝統的な藤沢の焼畑は同地で生産される杉材を出荷したあとの伐採地で行われるため、伐採面積に応じて毎年確保できる生産面積とカブの生産量も変動する。

近年の木材価格の低迷によって極度に伐採面積が減り、毎年焼畑地を確保するのが困難な状況にある。
2004年の生産面積と生産量は5-6反歩(50-60a)で、4-5トン、農家4軒6人がその焼畑に共同で生産に関わっている。
平均量は一反あたり約800sで、温海かぶの1000sと比較するとやや少ない。

特徴

地上部の根の部分が赤く着色する長カブで、丸尻になる。皮が薄く、上品な甘味と、辛味を持つのが特徴。

生産地 山形県鶴岡市藤沢地区  (鶴岡市受託研究報告書 2007.3.31)

 

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